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2008年03月 アーカイブ

2008年03月31日

ニューポリティクスの可能性

 今日は年度末で、なにやかにやの事務的な処理のため、議会の控室にいます。とりわけ、もろもろの収支報告なんかがあり、結構面倒です。その作業が終わったので、ちょっとブログを書いています。
 先週の初めに議会が終わって、半ばくらいに、連日いくつかの研究会やシンポジウムに顔を出しました。自分たちでやっている研究会もあり、本業というか、純粋に研究目的のものもありましたが、結構政治活動と結びつくものや、それにヒントを与えるものがありました。
 そうした中で強く感じたことが、やはり現状を打破するためにも、これまでの政治の問題設定を考え直すような、新しい可能性、それも理論的なものを打ち出す必要があると思いました。具体的に、ドイツの社会民主党とアメリカの民主党、それに日本の民主党の三者で意見交換するというシンポがあったのですが、そこでそれを感じました。
 よく知られているように、ドイツの社会民主党は、いわゆる世界観政党で、こうした基本的価値の問題や理念といった点で一日の長があるように思います。必ずしもそれに同意するわけではありませんが、やはり見習うところ大だと思います。もちろん、ドイツ固有の政治状況で、社会民主党の状況は、必ずしも楽観できるわけではないのですが、一応理念は語っていました。
 その意味では、今、日本の政治もこうしたオルタナティブについてのヴィジョンを展開するときなのではないかと思います。特に、リベラル左派の政治にとって、そういったことが求められるように思います。それは基本的な価値観をめぐる学問的な営為と、実践が有機的に結びつくことだと思います。
 こうした考えに立って、これからもアカデミックな言説と、政治的な活動の結節点としてやっていきたいと考えております。これが今の僕の政治的なスタンスにひとつということになります。こうした立ち位置、ポジショニングで活動できればと思っております。

 そんなことを考えているのですが、現状は十分にそうした認識が、少なくとも今いる埼玉県議会においては、マジョリティを占めていないという、残念な現実があります。これについては、2月議会の最終日のことと一緒に、後日報告したいと思います。採決における態度についてもあわせて説明しようと思います。ほんとに問題含みなのですが、残念ながらメディアにはほとんど取り上げられていません。それはまた別の問題なのですが、このこともやはり考えなければいけないでしょう。

 最後に、今まで書いたような事柄に関連して、イタリアの政治哲学者のアントニオ・ネグリが不可解な理由で日本に来られなくなりました。政治的価値の問題を考える上で重要な人物だと思うのですが、なぜか日本政府はくるのをいやがったようなのです。このことに強く抗議しておきたいと思います。
 確かに、僕もネグリの考えに異論はたくさんあります。でも、それと入国させないということは、全く別のことではないでしょうか。新聞報道などによると、日本政府の対応は本当に不可解としかいいようがありません。多様な意見を、それも自由に述べることが出来るのが、民主主義なのですから。
 おかしいと思うことには、きちんと声を上げておかなければなりません。黙っていたら、それは黙認かもしれませんが、いずれにしても認めることとなります。このことを肝に銘じながら、再度ネグリの来日延期という事態に、大きな声で抗議しておきたいと思います。

2008年03月24日

一応、研究しています

 2月定例議会は今日までです。ですので、朝から本会議です。採決がおこなわれますが、それについてはまた後日、ゆっくりと説明したいと思います。今日は別の話です。
 先週、先々週と、議会の方は主に委員会があったのですが、その合間を縫って、原稿の執筆など、研究活動に、ほとんど専念していました。先週の水曜日には、僕が籍を置く研究所での研究プロジェクトで報告をしました。久しぶり、たぶん議員になってからはじめて研究会で話したように思います。
 内容は、戦争と民主主義の関係について、その一筋縄ではいかない側面に焦点を当てた報告をしました。実際、デモクラティク・ピース論という、民主主義国同士は戦争しないという考えがあるのですが、それは必ずしも十分ではなく、デモクラシーのための戦争やデモクラシーによる戦争があるということを話しました。もちろん、今では戦争の数は減って、確かに先進資本主義国同士は戦争をしなくなりました。当然、これで平和ということではないのですが。いずれにしても、こんな内容を報告しました。
 翌日、休日でしたが、非常に興味深い講演を聴きました。「平和の文化をきづく会」というのがあるのですが、僕もその会の会員になっており、ちょうど年次の総会の時期にあたり、それにあわせて講演会がもたれたのです。平和ということで、さっきの研究会の話とつながるのですが、この「平和の文化」という考えはとても大事なものですので、いずれ機会があったらこのブログでも取り上げたいと思います。
 講演は、アメリカの心理学者によるもので、現代社会の問題について心理学からアプローチしている方で、問題関心が僕とかなり近いように感じました。実際、講演のあとに懇親の会がもたれたのですが、そこで個人的に話した感じでは、より一層そう思いました。
 そこでとても面白いと感じたのが、そのアメリカの心理学者は、心理学の問題を考えていくうちに社会の病理的な現象に関心を持ち始め、社会理論のような批判的な社会科学に近づいていったのだそうです。反対に、僕の方は、ここのところ現代社会論の枠組みで現代の社会病理に接近していくうちに、心理学的な問題へと近づいているのです。いわば、スタートラインは反対なのですが、対極のほうから問題を考えていくうちに、お互い近いところにきているということだと思います。
 今は、機会があれば本格的に心理学を勉強してもいいかな、と考えるようになっています。そのうち、もしかしたら勉強してみようかなと思っています。
 まあこんな風に、僕も研究を続けています。議員活動と二足のわらじを履くという状態ですが、少しずつでもこれからも研究の方もやっていきたいと思います。もちろん、政治活動にプラスになるような形で。
これからも随時、研究についても、このブログで報告していきたいと思います。

2008年03月12日

例外と原則

 確か、ドイツのブレヒトという劇作家のエッセーに、「例外と原則」と題されたものがあったかと思いますが。ちなみに、彼はかなりの皮肉屋で、僕自身は大変好きな作家の一人です。戯曲も面白く捨てがたいのですが、なんといってもアイロニー満載のエッセーが大変よく、学生時代には結構愛読しておりました。そういう人物ですので、名言集のようなものがあり、これがまた傑作です。
 そのエッセーの内容はというと、おそらくどのような原則にも例外はつきものであるといったことだったと記憶しております。つまり、例外のない原則など存在しないということだったと思います。だからといって、無原則なのがよいということを主張しているのではなく、規則とはそのようなものであり、それをふまえて柔軟に対応することが肝要だとの趣旨であったと理解しているのですが。
 実際どのような規則にも例外がつきものです。原則をかたくなに振りかざすだけでは、物事は前に進めることが難しいのはいうまでもありません。ですが、それをたてにとって無原則を貫くこともまた、いい加減なことと非難されても仕方ないことでしょう。
 こういう状況が、政治の世界ではままあるのです。政治とは妥協のアート(芸術)である。これは僕の政治に対する基本的な認識です。その意味では、政治観と言っていいでしょう。政治とは、様々な利害が対立し、それを調整するプロセスであることは自明であると思われますが、その過程で個別的な利害、特殊な利益に拘束されている限り、妥協ということは考えられなくなってくるのです。
 それだからこそ、議員は選挙区の特定の利害のみを代表するものではないという考えが成り立つのです。つまり、特定の利益代表ではなく、一般代表であるべきということになるのです。これが今日の政治学の教科書的な理解としての、一般代表制ということです。実際には、この原則を貫徹することは、結構難しいのですが、だからといって無原則であるはずがよいわけではありません。
 このブログでもこれまでに書いているように、こうした事態にどのように対応していくのか、本当に頭を悩ませるところです。これからどのような判断を下していくのか、県民の一般的な利害を表象すべき県議会議員としても、問われるところではないかと思います。

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2008年03月07日

それでも地球は回っている?

 マイノリティはやっぱりつらいですよ。なんのことかって、趣味の話なら別に気にしないんですけど。元々嗜好はマニアックだし、結構話が合う人を見つけるのも苦労したりする場合があるものですから。そんなのどうでもいいんですけど。何かっていう感じなんですけど。
 でも、会派での意見でマイノリティは、結構難しい。
 まあそんなことははじめから覚悟していたので、最初から少数意見の持ち主だとは認識していました。でもここでいいたいのは、そんな少数意見を表明する自由をという話なんです。要するに寛容が大切ということです。ただ、多数決原理というものは、少数意見を留保する権利が付与されてはじめて機能するという、民主主義についての、政治学の教師なら誰でもそう教える、当然のことが当たり前になされてくれればよいということなのです。
 要するにこれが、それでも地球は回っているということなのです。太陽がいくら地球の周りを回っているといっても、事実は違うし、地球が太陽の周りを回っていることを知った以上、その考えを変えることは出来ないということになるのは仕方ないことなのです。そうなったら、どのようにその意思表示をするのかが問われるわけだと思います。そうなると造反有理ということになるのでしょうか。
 これからのお楽しみということでしょうか。分かりません。本当のことは。
 本当ならかなり忙しいはずなんですが、次の予定まで会派の控室で結構時間が余ったので、つまり暇だから、こんなくだらないことを書いてしまいました。すいません。

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2008年03月06日

結構忙しくしています

 先週、今週は結構忙しくしています。先週は議会の本会議が連日開かれており、連日浦和の県庁に来ていました。今週は、会議はそれほどないのですが、論文の締め切りが近づいてきて、そちらに精力をさかなければならない状態です。正直なところ、かなりてんぱっています。
 論文は、雑誌の特集で、専門の現代社会論に関するものです。それほど長いものではないので、出来るだけサックとやれればよいのですが、生来の遅筆に加え、最近正直に言って、アカデミックな活動はご無沙汰しているので、なかなか元の状態に戻るのに苦労しています。でももうあまり猶予がないので、これからうちに戻って、また続きの作業をしたいと思います。
 内容は、現代日本の社会病理についてがテーマで、主に若い人の生活世界との関連で、病理と呼ばれる現象に関する議論を展開しています。現在の青年層を取り巻く厳しい状況を念頭に置いて、彼らの視点からどのようなことがいえるのか、それが焦点になります。
 こうした問題は、政治活動とも密接に関連します。その意味では、政治上の問題という地平の延長上にあります。学問的な議論としては、でも政治的な発言とは異なった角度から、何かいえるのではないかと思います。特に、政治家としては、なかなかいえないようなことでも、学問的な観点からは発言できるような事柄もあるのではないかと考えます。
 いずれにしても、政治と学問、実践と研究とのバランスを考慮しながら、時には結びつけながら、また切り離しながら、これからもやっていきたいと思います。たまにはこんな内容でもいいんじゃないのかと思います。あと議会の方でも、やっかいな懸案事項があります。これも頭の痛いところです。こちらについてはいずれまた。でも、早急に結論を出さなければならないですけれども。
 

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