前回のブログに書いたことですが、少し前のこととなってしまい、新鮮さはやや薄れてしまったのですが、やはり書き留めておきたいと思います。でも、その前にゴールデン・ウィークは、あまり用事もなく、久々にゆっくりと休むことが出来ました。4月の29日は、地元狭山の「新茶祭り」があり、そこに行きましたが、あとは30日に総会などがあったくらいで、後半の5月に入ってからはほとんど用事らしい用事もなく、のんびりとしていました。ちょっと疲れをとるために、近くの天然温泉、といっても地中深く掘れば、そこに水脈さえあれば、地熱で温泉になるのですが、そこでリラックスしてきました。
さて、労働者協同組合って、一体どのようなものなのか。多くの方は、はじめて聞く言葉かもしれません。聞き慣れないものだし、聞いたことがあっても、実際どのようなものなのかを知っている人は、あまりいないのではないでしょうか。端的にいうのならば、そこで働く人が自分たちのために協同組合組織を作り、それが仕事の受け皿となるというものです。
たとえば、日本ではこれが多いのですが、介護などの地域社会に密接に関わる事業で、それに携わる人たち自らが組織を作り事業を展開するなどといったことがあります。この場合NPO法人を取得し活動するケースもありますが、形態はともかく、非営利で、社会的に意味のある事業を自分たちの手でおこなうことにポイントがあるのではないでしょうか。いわば、社会的起業の一形態だといえます。
問題は、この労働者協同組合には、その根拠となる法律がなく、今度議員立法でそれを作ろうということを、今やっています。それをもっと地方レヴェルでもアピールしていこうという趣旨で、地方議員も巻き込んだ形で運動を進めているところです。
実際、こうした形態の組織は欧米をはじめ、世界中にあり、様々なことをやっています。書店をこの形態で経営しているなんてケースもあります。その場合は、エコロジーなどの何らかの専門に特化した本を扱うといったものが、よく見られます。また、日本では公共サーヴィスの分野に、最近多くなりつつある指定管理者制度を利用して、参入を図ってもいます。
まさに、規制緩和、新自由主義を逆手にとって、活動範囲を広げていっているのです。確か、アメリカなどではワーカーズ・コレクティブなどという名前で事業をしていることもあるかと思いますが、ともかく同様のものといっていいと思います。
こうした活動が、なぜ持続可能な社会にとって重要なのかといえば、まず非営利であるということがあげられると思います。利潤を追求することが、環境に重大な負荷を与え、持続可能性を損なっているという側面は否定できません。それゆえ、近年社会的起業ということが、しばしばいわれるのです。
まあ確かに、人間には欲望というのも、重要な側面ではあるのだけれども、それを必ずしも物質的なものに向けなくても、またそれとうまくつきあうことも必要でしょう。こうした考え方が、スローライフであったり、持続可能な社会のテーマなのです。そのための、人間の働き方のひとつのあり方として、労働者協同組合は存在するのだと思います。
ですから、この取り組みは、非常に大切なものであると、僕自身は考えております。近年の格差社会といわれる状況に対しても、有効なオルタナティブとなると思います。ワーキングプア問題の解消にもつながると考えています。その意味では、アウトノミア的、ゲリラ的な、つまりパフォーマティブな抵抗の形かもしれませんが、これからの社会のあり方を考える上で、重要なものとなるでしょう。
今に日本社会の現状を考えると、こうしたアイデアがとても意味のあることだと思わざるを得ません。実際、世界中でそのような傾向が、様々な形で見られますし、それに呼応するように、日本でもいろいろな試みがあると思います。そうした全体像の中に、この労働者協同組合も位置づけていく必要があるでしょう。「もう一つの世界は可能だ」というのが、その際のスローガンです。
地球環境問題などを考えると、持続可能な社会にとって、理想的なライフスタイルは、過度に働きすぎないというのはもちろんのこと、何かを大量に生産して、大量に消費するというのは、もはや限界にきているのだと思います。エネルギーについても、出来るだけ分散化したシステムで、安定的に供給できれば、それにこしたことはないのです。もちろん、再生可能なエネルギー源がいいのは、いうまでもありませんが。
こうした問題を、もっと政治に携わる人たちが真剣に考える必要があると思います。国政レヴェルでは、それなりに考えているとは思うのですが、地方の段階ではまだまだといった感じです。やはり、もっと地方政治に関わる人たちは、そうしたことにセンシブルになる必要があると思います。非常にセンシビリティーのある地方議員も、もちろんたくさんいます。環境問題が身近な問題であり、その意味では環境に関心を寄せる議員は、地方にもたくさんいるのですが、なぜかそれがメインストリームにならない。
依然として、はこものや大規模開発、道路などの無駄な公共事業に熱心な人もいますし、自治体の長もその考えなら抜け出ていないことが多いように思います。もはやそんな時代ではないのに、ちょっとズレているといわざるを得ません。ここが、学問と、実に何ともいいがたい、溝があるように感じてならないのですが。このあたりも、これからの、政治的な意味でも、学問的な意味でも、課題のひとつだと思います。この点にも関心を払って、折りがあればここにも書き込んでいきたいと思います。