<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>Hiro-Kit Blog</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://hiro-kit.net/blog/atom.xml" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1</id>
   <updated>2008-10-03T09:21:34Z</updated>
   <subtitle>北村ひろしの公私混同・個人ブログです</subtitle>
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.34</generator>

<entry>
   <title>なんかズレていませんか？</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/10/post_36.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.39</id>
   
   <published>2008-10-03T08:09:54Z</published>
   <updated>2008-10-03T09:21:34Z</updated>
   
   <summary>　なんかズレていませんか？ 　といっても、別に髪の毛の話ではありません。ズラ話は...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="ひとりごと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　なんかズレていませんか？

　といっても、別に髪の毛の話ではありません。ズラ話は、それはそれで結構面白いのですが、今日はまじめな話題です。一般質問も、今日で五日目、最後の日だったんですが、今日は三人とも、最大会派の議員が行いました。それで、ふと気がついたのですが、彼らの感覚って、なんかズレているんですよね。もちろん、保守系の議員だけがそうというわけではないのですが、そういう人は、まあどこにもいるのかも知れないけれども。とにかく、なんというか、考え方に一貫性がないというか、価値観がちぐはぐというのか、ともかく、思想的に潔癖な僕には、アンビリーバブルっていう感じなのです。
　何しろ、今日の一般質問の中で、脱ダムというべき、不要となったダムは撤去した方がいいと主張したあとに、学校行事で靖国神社や護国神社にもっと行きましょうなんていっているのですから。これってなんかズレていませんか。リベラルなのかなと思うと、超保守の復古的価値観だったり、なんだか訳が分からなくなってしまいました。それとも、脱ダムということと、歴史修正主義は、「本質的」には関係がないものなのでしょうか。それもよく分かりません。
　たぶん、価値観や考え方に整合性がないと、なんだか収まりが悪いというか、すっきりしないという僕の中にある、ある種の潔癖さがそうさせるのでしょうか。もっとも、これは、今、僕が所属している会派にも、同じことがいえるのですが。この点については、深くは追求したくはないというのが、正直なところなので、あんまり考えたくはないです。ともかく、こういうズレは、率直なところ、勘弁願いたいのですが。
　もう一つ、国際交流とか国際化について熱心に質問したり、特別支援学校を支援するような質問の中で、そこでのヒノキミの扱いがどうだとか、組合加盟が多いだとか、そういうことをいわれると、正直どん引きというか、なんなんだよって思ちゃうんですよね。これも悪い癖ですかね。本当に整合性がないというのか、ちぐはぐなことってダメなんですよね。
　とにかく、そういうイノセントな感じというか、天然、でもこの場合には悪い意味だと思うんですが、こういうことは、僕のような人間には理解できないのです。まあ、潔癖っていう表現かぴったりなのか、もしかしてらリゴリスティックなのかも知れませんけど、ちょっとねえ。政治的には、清濁併せのむというのか、こういうのもありなのかも知れませんけど、ちょっと生理的な次元では、ＮGです。

　こんな僕って、やっぱり変ですかねえ。
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>たまには短く・・・</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/10/post_35.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.38</id>
   
   <published>2008-10-01T09:13:15Z</published>
   <updated>2008-10-01T09:45:28Z</updated>
   
   <summary>　たまには短くまとめようと思います。 　県議会も、今週は一般質問です。ですので、...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="ひとりごと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　たまには短くまとめようと思います。

　県議会も、今週は一般質問です。ですので、月曜から金曜まで毎日きています。でも、書くネタはあまりありません。というのも、低調な質問が多いからです。そもそも、議案に関連した、論議の盛り上がるような質問が少ないので、またヤジもそれに比例してということになってしまいまして。
　登壇者も、最大会派が当然多いのですが、彼らの場合には、いくつかの例外を除いては、張り合いのあるものがないという状況です。うならせるような質問は、本当に数えるほどです。

　それに比べれば、我々の会派などのような、いわば野党的な立場の中には、きちんとした、まっとうな質問でいっぱいですが。みなさん本当に勉強しているし、目的意識を持たない、ためにするような質問は、全くといいほどありません。それに、そのためか、質問を受けて、すぐにそれに見合う施策がなされるような、なんというかサーヴィスのようなこともありません。
　個々に紹介すると多岐にわたるので、残念ながら、ここではいちいち書きませんが。でも、視野の広い、それでかつ整合性のある質問が、数多く見受けられることは、いえると思います。

　あきれるのは、中には、自分の右翼的心情を吐露するためにだけ、質問しているというようなものがあることです。それが例外的ではないということに、多少社会病理であるとの感は禁じられませんが。
　いずれにしても、そんな状況です。ですので、さほど集中を要さないものについては、いろいろな書類、これは県政にとって必要なものですが、に目を通しながらということにしています。効率を考えると、これもやむを得ません。限られた時間で、必要な仕事をするためにも。

　こんなことを書き連ねていたら、また、長くなってしっまたので、この辺でやめておきます。

　　　
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ブラジル</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/09/post_34.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.37</id>
   
   <published>2008-09-29T08:25:59Z</published>
   <updated>2008-09-29T09:19:25Z</updated>
   
   <summary>　先日のブログに八月の末から九月にかけて10日間ほどブラジルに行ってきましたと書...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="活動報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　先日のブログに八月の末から九月にかけて10日間ほどブラジルに行ってきましたと書きましたが、今日はそのことについて簡単に記しておきます。今回のブラジル訪問は、埼玉県議会の日伯友好議員連盟の訪問団として、ブラジルの埼玉県人会の創立五十周年記念式典に参加するのが、主な目的でした。今年は日本からブラジルへの移民100周年ということで、いろいろな行事が行われたのですが、その一連の行事の一環という意味合いが強かったように思います。
　ブラジルに行くのは、僕個人としては、二回目だったのですが、前回は世界社会フォーラムに参加するため、主にポルト・アレグレという南部の街に行ったので、今回訪れたサンパウロなどはほとんど初めてでした。サンパウロについては、前回は飛行機の乗り継ぎのために、街を車で通過しただけでした。でも、その際にガイドの人が一応説明をしてくれたので、何となく分かったような気はしましたが。
　今回はそのサンパウロに主に滞在し、というのも日本人の移民はそこの周辺が多いので、その他に隣接する、といっても飛行機で移動することが多かったのですが、パラナ州など、州都のクリチーバや世界最大級のダムのある、そしてまたイグアスの滝で有名なフォス・ド・イグアスなどですが、に行ってきました。これらの個々の見聞録もまた面白いのですが、特に人間環境都市などと呼ばれるクリチーバの街は興味深かったです。これらについてはまた別の機会にでも報告できればと思います。

　今回の訪問では、本来の目的とは別に、もちろん様々な視察から有益な知見を得ることができましたが、ブラジルの現状を知りたくて参加したという側面もありました。ご承知のように現在のブラジルは左派政権で、南米に続々と誕生している左派政権の中でも古い方で、またベネズエラのような急進的な政権とは異なって、穏健派に属する、そのため国内ではやや不満があるのですが、しかし国際機関ともうまくやっているという状況です。それがいまどうなっているのか、それをこの目で見たくて、前回からどう変化しているのか、またいないのかを観察するという興味もありました。
　結論からいうと、それらについて十分に観察することはできなかったけど、現在ブラジル経済は、ＢＲＩＣｓという言葉に象徴されるように、かなり好調です。そのため、経済的には潤っているのが実感できました。ただ、相変わらずホームレスは多いし、ルーラ大統領の最も重点をおいた政策であった貧困対策はまだまだという感じでした。でも、ブラジルはＢＲＩＣｓの一員として、世界経済の荒波をうまく泳いでいるということはいえるのではないでしょうか。
　そんなことを考えながらの旅でした。日本人コミュニティーについても新鮮なことが多々ありましたし、ブラジルの現状を考えながら、いろいろと視察先を訪問すると、やはり考えさせることも多いですし、またブラジルの今後も含めて、さらなる興味がわいたことも事実です。また、次の機会にその辺についても、書ければと思います。

　帰りの飛行場の免税店で、先日まで左派政権の文化大臣を務め、先頃日本にもやってきた、著名なミュージシャンであるジルベルト・ジルの曲の入ったＣＤを買ってきました。忙しくて、まだ聞いていないけど。
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>今日から、また議会です</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/09/post_33.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.36</id>
   
   <published>2008-09-24T07:17:43Z</published>
   <updated>2008-09-24T08:50:37Z</updated>
   
   <summary>　今日から、また定例議会が始まりました。今回の、9月定例議会は、今日から10月1...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="県議会だより" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　今日から、また定例議会が始まりました。今回の、9月定例議会は、今日から10月10日までの期間です。長さはいつもと同じで、懸案事項もそう多くはなく、淡々と議事が進行していくと思われます。解散総選挙が近いという政治情勢の中、議員の多くは、浮き足立っているというほどではなくても、議会に集中できるかというと、それも必ずしもいえないという状況ですので、議会もそうならざるを得ないのではないでしょうか。執行部の方でも、このような情勢では、いくら地方分権という建前の下に、自立して政策立案をしていくとはいえ、なかなかいろいろな施策をとりにくいのが実情なのかも知れません。
　ですので、今回の議会では、一応補正予算があるのですが、緊急に必要な、最低限の予算しか組んでいないという印象です。緊急対策としては、それなりに妥当な納得のできるもののように思われます。その点については、あまり議論がなさそうな気がします。加えて、条例の改正案も、法制度の改定にともなう、半ば自動的なものがほとんどで、今回はこれから行われる公益法人制度の改変にともなうものが、多数を占めています。
　もっとも、以前にもこのブログで書いたことがあるかとは思いますが、県議会に提案される議案の多くが、一般的にいって、法制度の変更にともなうものが多く、その意味では地方分権の程度もまだまだかなと思わざるを得ません。もっと、独自の施策について、議会で白熱した議論をしなくてはと思います。そのような議会にしなくてはと思います。

　これから、議会開会中ですので、折を見てブログに書き込みをしていきたいと思います。開会中は、議会の控室にいることも多いですし、ちょっとの合間を見て、ブログを書いていきたいと思います。

　八月末から九月にかけて、10日ほどブラジルに行ってきましたし、帰ってからすぐに八つ場ダムの予定地にも行ってきました。いろいろとネタはあるのですが、おいおいそれもブログで紹介していきたいと思います。いつもそのようなことをいっているような気がするのですが。ブログをつけていないときにも、何かあるのですが、それをすべてブログに書ききれないし、忘れてしまうことも多々あるのですが。
　そんなことばかりですので、活動報告としては、不完全なブログですが、時々に感じていることを書き連ねる雑感として、このブログを読んでいただけたらと思います。でも、本当に、世の中というか、ひょっとしたら僕の周りのことかもしれませんが、いろいろと変化が早いし、どんどん回転していくので、なかなか乗り遅れてしまっている気がしています。その点は、ご容赦いただけたらと思います。

      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>夏休み</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/08/post_32.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.35</id>
   
   <published>2008-08-21T07:50:56Z</published>
   <updated>2008-08-21T09:43:31Z</updated>
   
   <summary>　お盆があけてから、はじめてのエントリーとなります。 　あんまり長くはないですが...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="ひとりごと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　お盆があけてから、はじめてのエントリーとなります。

　あんまり長くはないですが、なんとかお盆は休むことができました。三、四日ですが、信州へ行って、ゆっくりと休むことができました。といっても、なにやかにやで、いろいろあって、埼玉よりは涼しかったという程度かもしれませんが。ともかく、まとまった夏休みはしっかりととることができました。
　もっとも、こういう仕事の形から、普段でもスケジュールが不規則な分、二、三日予定がないということも、たまにはあるので、そういったときには、疲れがたっまっていたら休養をとったり、たまっている仕事や、まとまった時間をとってやる仕事をしたりしています。このことは、これまでもブログに書いたとおりですが、この夏から秋にかけてもそういう時間がもてればと思います。ただ、月末から10日ほどブラジルに行くので、そんな余裕はないかもしれません。いずれにしても、そういうラフ・スタイルがこれからもしばらくは続くのでしょう。要は、そこでなにをするのかだと思います。

　なんだかこの話題で、しつこくブログを書いているようですが、ここで云いたいのは、実のところ、もっと休みを取ろうということと、余暇を楽しもうということなのです。習慣として、もっと休みを取る必要があると思うのですが。そして、余裕を持った生活を送ることが、これからの社会に求められていると考えるのですが。それが持続可能な生活、ライフ・スタイルにつながるのではないでしょうか。
　これこそがスローライフということではないでしょうか。宮藤官九郎ではないですが、あんまり頑張りすぎないこと、ゆるく生きていくことが、肝要だと思います。日頃の生活を振り返ってみると、とかく忙しくしている人が多いような気がします。でも、もっとユルいライフ・スタイルでいいと思うのですが。
　みんなが余裕を持った働き方をしたら、ワークシェアリングもすすむし、ワーク・ライフ・バランスも、より均衡のとれたものになると考えるのですが、いかがでしょうか。先日読んだ新聞でも、そのようなことを、識者が言っておりましたが、まさにその通りだと思いますし、僕もかねてより、そういった考えを持っております。過労死の問題を考える上でも、ワーキングプアの問題を考える上でも、やはりスローライフという考え方が鍵となると思います。加えて、これが地域社会を豊かにすることにつながると思います。


　　
      　ゆとりのある生活が、余暇を享受することを可能にし、それが結果として、地域社会を豊かにしていくことができればと考えているのいるのです。これこそがスローライフという考え方の目指すものだといえるのではないでしょうか。そのために、もっとみんな休みましょうと、主張すべきだと思います。

　余暇との関連で、先日、川越のスカラ座という映画館に行ってきました。この映画館は、昔からあったのですが、昨今の事情に漏れず、いったん閉館という憂き目にあってしまったのです。ハリウッド映画が全盛の時代に、封切館はシネコンが跋扈し、名画座も消えかかっているという、いまの映画事情には、なかなか抗うのは難しいといえます。
　しかし、そんな映画館が、地域の人々の熱意によって、復活したのです。地域振興というか、街の映画館を残そうと、非営利の法人という形態で、興業を続けているのです。かかるラインアップも、そうした映画館らしく、絶妙な選択です。一度機会があったら、訪れてみてください。

　スカラ座のことは、側聞していたので、チャンスがあったらいってみようと思っていたのですが。実際にそこへ行って、いろいろと参考になりました。
　街おこしのために映画館をやるという話は、結構あちらこちらにもあります。共通しているのは、昔あった映画館がなくなって、地域で文化を享受できないことに、危機感を抱くということではないでしょうか。それに、地域社会が、街で映画を見ることを、つまり映画館を支えることができなくなっていること、ここに問題があると思います。
　そのためにも、もっとゆとりのある暮らしをして、余暇を思いっきり楽しむような文化が必要だと思います。昼間から映画を見る自由を。これは、別にリタイヤした高齢者だけのことではありません。多くの人がゆとりのある、昼間ではなくても、少なくとも夕方からでも、映画といわず、文化を享受できる暮らし、これが理想です。

　街おこしのためには、なにも映画館だけがあればいいのではなく、他の施設でもいいと思いますが。ともかく、そういった仕掛け作りが重要だと思います。かつて映画館があったところでは、それを復活させればいいし、そうでなかったところでは、何か別のものを考えればいいのです。必要なのは、こうした考えに合わせて、いかに地域を活性化していくのか、そしてこれが肝心なのですが、お仕着せものではなく、自分たちの身の丈にあったアイデアを生み出し、実行していくことが、やはりなんといっても、求められているのではないでしょうか。

　こんなことを、夏休みの間に考えていました。
　
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>政務調査費の公開について</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/08/post_31.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.34</id>
   
   <published>2008-08-05T08:25:23Z</published>
   <updated>2008-08-05T09:16:54Z</updated>
   
   <summary>　先週末に、議会会派の代表が記者会見して、昨年度分の県政調査費がどのように使われ...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="県議会だより" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　先週末に、議会会派の代表が記者会見して、昨年度分の県政調査費がどのように使われたのか、その使用実態について、お盆明けに一般公開することを明らかにしました。公開手続きなど、詳しいことは、新聞を参照していただきたいのですが、ともかくも政務調査費の使途の公開に漕ぎつくことができました。
　この政務調査費については、いろいろと批判もあり、議論の余地があるのですが、ともかくもこうしてオープンにして、議論の端緒を開くことが重要ではないかと考えております。様々な施策について、その実態を調査することや、政策を形成するのに際して、資料収集などの活動は欠かすことができないと考えます。その意味では、こうした費用の制度があることは、必要なことだと思います。
　ただし、その実態については、これまでの数多くの批判が示しているように、必ずしも適正であっとはいえないと思います。こうした、いわばグレーゾーンが、限りなく広がっているというのが、これまでの政務調査費の実情であったといえるのではないでしょうか。正しい使途とはいいがたいというのがこれまでの政務調査費であったのならば、批判もしょうがないですし、やはりきちんとする必要があると思います。
　その意味からも、このように使途を明確にして、公開することは、やるべきことだと思います。確かに、遅きに失した感は否めませんが、ともかくも公開することができたのは、よかったというべきだろうと思います。こうして公開した以上、変な使い方はできませんし、その意味からも、実際不適切な使い方はしていませんし、それを明らかにすることも、最低限するべきことだろうと思います。
　ともかくも、こうしたことを通じて、議会を透明化することや、県民に対する説明責任を果たすことが大切ではないでしょうか。そのように考えるからこそ、政務調査費の公開は当然であると考えますし、そのために微力ながら、公開の準備のお手伝いをしてきました。

　今後、もしかしたら、この政務調査費の公開について、後日談のようなことがあるかもしれませんし、最悪の場合には、何らかのゴタゴタがあるかもしれません。そうはなっては欲しくないのですが、いずれにしても、このブログでこれからも、このことについても取り上げていきたいと思っております。
　　
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ご無沙汰です</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/08/post_30.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.33</id>
   
   <published>2008-08-01T07:09:49Z</published>
   <updated>2008-08-01T09:36:35Z</updated>
   
   <summary>　ご無沙汰しております。本当に久しぶり、たぶん３ヶ月ぶりぐらいに、エントリーしま...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="ひとりごと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　ご無沙汰しております。本当に久しぶり、たぶん３ヶ月ぶりぐらいに、エントリーします。この間、結構忙しくて、なかなかブログを書けないでいました。
　なんせ、いったんブログを書き始めると、いろいろと書きたくなってしまい、ついつい長くなってしまうのです。これは、おそらく物書きのさがなのでしょう。余計なことを、書き連ねたくなってしまう、こんな調子で長文のブログをエントリーしてしまうのです。同僚の議員からも、長いとよく言われております。

　この間にいろいろと活動はしていたので、また研究の方でも、論文が活字になったりして、報告すべきことは、山ほどあるのですが、そちらについては、またおいおいブログで紹介できればいいかなと思っております。主なものでも、６月議会で、一般質問をしたことや、これについては周辺的なことも含めますと、いろいろなエピソードがあり、結構興味深い体験でした。また、圏央道のパーキングエリアのオープニングセレモニーで、生まれて初めてテープカットをしたことなど、ネタには事欠かないと思います。
　もちろん、政策的な関心事でも、いくつかのイベントや集まりにも参加しました。反貧困キャラバンというのがあって、その出発式が浦和であって、そこにも行ってきました。デモにまでつきあってしまい、珍しくデモってしまいました。デモなんて、僕らの年代では滅多にやらないし、個人的にも久しぶりに、デモに参加しました。そんなわけで、どうも慣れないのですが。もっとも、最近はパレードなんていって、それなりにイケているものもあるのですが。
　それから、５月のことでしたが、いまの若い人たちについて、とりわけその社会的世界についての、そんなに長くはない論考が活字となりました。これについても、いずれ機会があれば紹介したいと思います。研究の方もこんな感じでやっております。

　こうして書いていくと、ついつい長くなってしまいます。いつもの調子で長々と書いてしまいました。本当にだらだらしたブログになってしまいました。　　　
      　ついでにいっておくと、でもこれは追記でないとちょっと書けないかなと思うようなことなのですが、これまで書いたブログについて、ある時、ヒマなときになになにしたとか書かれているけど、これってあまりよくないといわれたことがありました。確かに、遊んでいるような印象を与えるので、表現は考えなければいけないのですが、結構、僕にとっては、こうした時間が貴重なのです。
　まず、議員といっても、休みはしっかりと取るべきだということ。遊んでばかりいるのか、それとも忙しいながらも、しっかり休みを取っているのかは、みなさんが判断することだと思います。定時に出かけて、定時に戻るというライフスタイルと比べると、やはり違和感があるのかもしれませんが、議員の仕事は、その点では不規則なものです。土日はいつも休みということではありませんし、時間も一定ではないのが通常だと思います。
　もともと、こんなライフスタイルで長年やってきたので、個人的には違和感がありません。毎朝同じ時間に起きるという習慣も苦手ですし、要するにいい加減なのです。
　それから、こうした時間に普段できないことができるというメリットがあります。研究は、やはりまとまった時間がとれないとできないということもあります。特に、原稿や論文を書くのには、こうした時間が貴重なのです。もちろん、落ち着いて本を読むとか、しっかり勉強する必要もありますので。これは、議員活動にも欠かせないことだと思いますが。やはり、政策を勉強する必要があると思います。
　議員と時間の関係では、別のことで、考える必要があるように思います。報酬と拘束時間の関係です。このことは別の機会に考えたいと思いますが、議員の活動時間に比べ、やはり報酬が多いように思うのですが。これは一考の余地があると思います。生活給としての報酬という、チャーチスト以来の主張があると同時に、それでも実労働時間に対してもらいすぎだろうという、気もしないではありません。
　この問題については、しっかりと論理立てて、いずれ検討してみたいテーマだと思います。結構、議員活動のあり方に関わる問題でもありますし、きちんと考察の必要ありだと考えています。

　これに関連して、やはりブログに以前、本業といった言葉を使ったのですが、これも誤解を与える表現だったかと思います。しかし、これには意味があって、使っていたのですが。
　というのも、これまで地方議員は、本業があって、副業で議員をやっているという建前になっていたのです。報酬の考え方も、そうでしたし、そもそも議員の身分についての制度設計自体が、そう位置づけられてきていたのです。
　ですが、最近になって、ようやくそのような考え方が変わってきて、法律上も一部手直しがされてきています。ですから、本業とか、副業とかは、実はどうでもよくて、アイロニカルな表現として、単に用いただけなのです。実際、収入の点では、議員が本業ですし、ヨーロッパ的な職業観念からすれば、議員の登録に際しての職業欄には、研究者と書くべきなのでしょう。
　というわけですので、確かに、これを見たときに、なんだか片手間で議員をやっているような印象与えたようなので、この点を、やはりきちんといっておいた方がいいのかなと思いました。これも議員のあり方に関わることですから、一度議論してみてもいいかなと思っています。

　だいぶ長くなってしまったので、この辺でやめておきます。いずれ整理して議論する機会を設けたいと思います。いつになるかは、保証できませんが。すいません、いい加減なことばかりで。

   </content>
</entry>
<entry>
   <title>持続可能な社会・２</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/05/post_29.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.32</id>
   
   <published>2008-05-07T07:25:04Z</published>
   <updated>2008-05-07T08:57:53Z</updated>
   
   <summary>　前回のブログに書いたことですが、少し前のこととなってしまい、新鮮さはやや薄れて...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="活動報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　前回のブログに書いたことですが、少し前のこととなってしまい、新鮮さはやや薄れてしまったのですが、やはり書き留めておきたいと思います。でも、その前にゴールデン・ウィークは、あまり用事もなく、久々にゆっくりと休むことが出来ました。４月の２９日は、地元狭山の「新茶祭り」があり、そこに行きましたが、あとは３０日に総会などがあったくらいで、後半の５月に入ってからはほとんど用事らしい用事もなく、のんびりとしていました。ちょっと疲れをとるために、近くの天然温泉、といっても地中深く掘れば、そこに水脈さえあれば、地熱で温泉になるのですが、そこでリラックスしてきました。

　さて、労働者協同組合って、一体どのようなものなのか。多くの方は、はじめて聞く言葉かもしれません。聞き慣れないものだし、聞いたことがあっても、実際どのようなものなのかを知っている人は、あまりいないのではないでしょうか。端的にいうのならば、そこで働く人が自分たちのために協同組合組織を作り、それが仕事の受け皿となるというものです。
　たとえば、日本ではこれが多いのですが、介護などの地域社会に密接に関わる事業で、それに携わる人たち自らが組織を作り事業を展開するなどといったことがあります。この場合ＮＰＯ法人を取得し活動するケースもありますが、形態はともかく、非営利で、社会的に意味のある事業を自分たちの手でおこなうことにポイントがあるのではないでしょうか。いわば、社会的起業の一形態だといえます。
　問題は、この労働者協同組合には、その根拠となる法律がなく、今度議員立法でそれを作ろうということを、今やっています。それをもっと地方レヴェルでもアピールしていこうという趣旨で、地方議員も巻き込んだ形で運動を進めているところです。
　実際、こうした形態の組織は欧米をはじめ、世界中にあり、様々なことをやっています。書店をこの形態で経営しているなんてケースもあります。その場合は、エコロジーなどの何らかの専門に特化した本を扱うといったものが、よく見られます。また、日本では公共サーヴィスの分野に、最近多くなりつつある指定管理者制度を利用して、参入を図ってもいます。
　まさに、規制緩和、新自由主義を逆手にとって、活動範囲を広げていっているのです。確か、アメリカなどではワーカーズ・コレクティブなどという名前で事業をしていることもあるかと思いますが、ともかく同様のものといっていいと思います。

　
      　こうした活動が、なぜ持続可能な社会にとって重要なのかといえば、まず非営利であるということがあげられると思います。利潤を追求することが、環境に重大な負荷を与え、持続可能性を損なっているという側面は否定できません。それゆえ、近年社会的起業ということが、しばしばいわれるのです。
　まあ確かに、人間には欲望というのも、重要な側面ではあるのだけれども、それを必ずしも物質的なものに向けなくても、またそれとうまくつきあうことも必要でしょう。こうした考え方が、スローライフであったり、持続可能な社会のテーマなのです。そのための、人間の働き方のひとつのあり方として、労働者協同組合は存在するのだと思います。
　ですから、この取り組みは、非常に大切なものであると、僕自身は考えております。近年の格差社会といわれる状況に対しても、有効なオルタナティブとなると思います。ワーキングプア問題の解消にもつながると考えています。その意味では、アウトノミア的、ゲリラ的な、つまりパフォーマティブな抵抗の形かもしれませんが、これからの社会のあり方を考える上で、重要なものとなるでしょう。
　今に日本社会の現状を考えると、こうしたアイデアがとても意味のあることだと思わざるを得ません。実際、世界中でそのような傾向が、様々な形で見られますし、それに呼応するように、日本でもいろいろな試みがあると思います。そうした全体像の中に、この労働者協同組合も位置づけていく必要があるでしょう。「もう一つの世界は可能だ」というのが、その際のスローガンです。

　地球環境問題などを考えると、持続可能な社会にとって、理想的なライフスタイルは、過度に働きすぎないというのはもちろんのこと、何かを大量に生産して、大量に消費するというのは、もはや限界にきているのだと思います。エネルギーについても、出来るだけ分散化したシステムで、安定的に供給できれば、それにこしたことはないのです。もちろん、再生可能なエネルギー源がいいのは、いうまでもありませんが。
　こうした問題を、もっと政治に携わる人たちが真剣に考える必要があると思います。国政レヴェルでは、それなりに考えているとは思うのですが、地方の段階ではまだまだといった感じです。やはり、もっと地方政治に関わる人たちは、そうしたことにセンシブルになる必要があると思います。非常にセンシビリティーのある地方議員も、もちろんたくさんいます。環境問題が身近な問題であり、その意味では環境に関心を寄せる議員は、地方にもたくさんいるのですが、なぜかそれがメインストリームにならない。
　依然として、はこものや大規模開発、道路などの無駄な公共事業に熱心な人もいますし、自治体の長もその考えなら抜け出ていないことが多いように思います。もはやそんな時代ではないのに、ちょっとズレているといわざるを得ません。ここが、学問と、実に何ともいいがたい、溝があるように感じてならないのですが。このあたりも、これからの、政治的な意味でも、学問的な意味でも、課題のひとつだと思います。この点にも関心を払って、折りがあればここにも書き込んでいきたいと思います。

   </content>
</entry>
<entry>
   <title>持続可能な社会</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/04/post_28.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.31</id>
   
   <published>2008-04-30T08:07:01Z</published>
   <updated>2008-04-30T09:09:43Z</updated>
   
   <summary>　持続可能な社会、いわゆるサスティナブル・ソサエティーについての議論が盛んになさ...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　持続可能な社会、いわゆるサスティナブル・ソサエティーについての議論が盛んになされています。僕もこの問題には以前から関心がありまして、少しは勉強しておりましたし、学会でこの問題に関連する報告もしたことがあります。ですので、単に学問的な関心だけではなく、当然のことながら、政治活動のレヴェルでも、非常に重要なテーマであるととらえております。
　少し前の話になるのですが、２週間ほど前の日曜日に、地元の環境団体のツアーに便乗して、小水力発電を実際におこなっている現場をみてきました。山梨県の都留市でおこなっているのですが、まだまだ緒についたばかりで、必ずしも安定的に電力を供給するまでにはいたってはいないのですが、環境教育の面を考えると、効果はすでにかなりのものがあるように見受けられました。
　また、都留の街をじっくりと訪れたのは初めてだったのですが、かなり歴史のあるとてもすばらしいところでした。都留文科大学があり、それなりに身近な存在ではあったのですが、こうして街の歴史を含めて、あらためて見回してみるととても魅力的なところです。この小水力発電の試みと、町並みを訪ねるというツアーで、一日かけることが出来るほどのところです。

　それから、先週の木曜日に、寄居にある、埼玉県の環境資源循環工場や環境整備センターという処分場などを、会派で視察いたしました。当然、ゴミ問題も持続可能な社会において重要な問題ですので、きちんと勉強してまいりました。処分場関係は、以前も見る機会があったのですが、やはり実際に実物をこの目で確かめないと、ちゃんとしたことはいえないと思います。
　特に、資源循環工場は、PFI方式という、まだ課題の残されたやり方で作られ、運営していますので、一度見ておく必要があると思いました。ただここで感心したのは、ゴミ処分をするガス炉の熱を利用して発電をしており、工場の電力をかなりまかなっていたことです。売電まではなかなか出来ないそうですが、ただ電気を売るのも、電力会社の買い取り価格が安く、必ずしも見通しのよいものでは現状ではありませんので、このような形にとどまるのも仕方ない部分はあるかとは思います。

　いずれにしても、これからの持続可能な社会を考える上で、こうした様々な発電システムやゴミ処理の問題は、とても重要なイシューとなるでしょう。このような身近な問題を考えることが、実はとても大切なことだと、あらためて気づかされました。環境問題では、身近な問題を地球規模のスケールで考えるというのが、よく知られたスローガンなのですが。本当にそうだと思います。
　こんな実例に接していたら、最近号のビッグ・イシューに、スコットランドのある島が、離島なのですが、再生可能なエネルギーで発電をするシステムを導入したという記事がありました。こちらは太陽光や風力が中心のようなのですが、持続可能性を考えるなら、こうしたエネルギーのあり方が問われるのだと思います。これからもこの問題については、ブログで機会があれば取り上げていきたいと思います。

　最後に、ついでに、持続可能な社会ということでは、人の暮らし方、ライフ・スタイルの問題も重要だと思います。以前に、スローライフについて書いた短文が、ホームページから見られるようになっていますが、これに関連して、先々週の土曜日に、労働者協同組合の集まりに行ってきました。このことも、同様に、興味深い実験だと思いますので、機会を改めて報告しておきたいと思います。いずれまた、このブログで、この労働者協同組合とは、どのようなものなのかを含めて、書いてみたいと思います。

      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>採決について</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/04/post_27.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.30</id>
   
   <published>2008-04-15T08:26:51Z</published>
   <updated>2008-04-15T10:04:28Z</updated>
   
   <summary>　やっと落ち着いて、またまとまってブログを書く時間がとれたので、２月議会の採決で...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="県議会だより" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　やっと落ち着いて、またまとまってブログを書く時間がとれたので、２月議会の採決での態度について記しておきたいと思います。残念ながらマスコミ等では十分に取り上げてもらえなかったし、スペースの都合もあったのだとは思いますが、それでもキチンとは伝わっていないと危惧いたしますので、あらためてことの成り行きを説明したいと思います。
　結論からいいますと、今回の採決の際に、僕は計２回退席しました。一度目は八ッ場ダムの議決の際に、もう一度は教科書の検定について出された請願の際です。
　八ッ場ダムについての議決に関しては、新聞も多少取り上げていたかと思いますが、無駄な公共事業の象徴であるこの計画に同意することは出来ませんでした。会派内でも、かなりの意見の相違があったことは、退席の状況を見れば明らかでしょう。一応、会派での態度が同意となった以上、反対は出来ませんので、退席という手段をとることにしました。
　本来ですと、予算、特に特別会計予算に、この件の経費が計上されているので、予算自体にも反対しないと整合性がとれないという意見もあるでしょう。ですが、道路特定財源の問題を含めて、１００パーセント賛成ではないものですが、反対するよりも、次善の評価として賛成することにしました。オールオアナッシングという姿勢よりは、部分的にでも評価できるものは評価するという姿勢がよいと考えます。
　道路特定財源についても、暫定税率の延長に反対している以上、暫定分を見込んだ当初予算は、やはり問題だとは考えます。それでも、予算全体をみるならば、会派の方針のとおり賛成すべきであるとの判断です。これからも、こうした難しい判断を下さなければならない場面があるでしょう。
　

      　もう一つの退席のケースは、正直迷いました。確かに、沖縄の集団自決をめぐる教科書検定に関する一連の騒動は、一応「訂正」という形で収束が図られました。これが十分な解決ではないのは、もちろん承知しております。
　それでも、検定の撤回を求める意見が事実上果たされたという理由で不採択という態度は、容認することが出来るものではありました。ですが退席したのは、会派の運営上の問題という点も大きいのです。その点に抗議の意思表示をするために退席という手段を選んだという意味合いも、少なからず込めているのです。
　実際、僕は検定制度そのものに反対ですし、検定に問題があることは事実としても、それを問題にする際には、もっと謙虚な姿勢が求められるのだと思います。歴史的事実や「真理」の問題については、やはり高飛車な態度ではなく、「正しさ」を検証するのに、謙虚であるべきだと考えます。
　その点で、この請願は、気持ちは分かりますが、やや一方的な印象を持つのです。自分たちの立場の正しさにあぐらをかいて、上から目線で要求しているのです。いくら正当な要求でも、これでは聞く耳を持ってもらえなくなってしまうのではないでしょうか。このことを危惧いたします。
　歴史認識の問題をそれなりに研究してきた立場からすると、正直、こういう謙虚さをいささか欠いた主張にであうのですが、それが説得力を持たないという無力感があることを感じたりするのです。ましてや、沖縄戦の実相は、複雑なものであるし、このような単純化された議論で、かえって悪影響をもたらしかねないと思ってすらいます。こと、沖縄の集団自決という事柄について、学校教育で教える際にも、教える側にもかなりの力量が求められるのではないかと思います。
　歴史認識について議論をはじめるとついつい長くなってしまうのですが、本音をいえば、この請願に対して１００パーセント賛成とはいかないのですが、いろいろ考えた末、このような態度をとるにいたりました。先ほど上げた理由を含め、黙って不採択にするのもどうかと思ってしまったのです。このままにしておいたら、歴史修正主義的な考えの議員と一緒にされるのも、正直いやですし、少数の異論を示した方がやはりよいのかもしれないと考えたりしました。
　これからもこうした歴史認識を問われるケースがままあると思いますが、その都度真摯に対応していきたいと考えています。最後に、誤解のないように申し添えておけば、先日あった沖縄の集団自決に関する大江・岩波裁判の判決を全面的に、僕は支持します。また、歴史認識や日本の戦争責任ついては、これをきちんと解明すべきであると考えますし、やはり責任の所在を明確にすべきと考えます。
　これは、以前ドイツの歴史認識の問題や戦争責任のことを研究してきた立場からのものです。その点では、請願をした人たちと同じ考えであるといってもよいのですが、ただし事実の前に謙虚であるべきことを、同時にこれまでの研究からも学んだのです。歴史をめぐる問いが繊細である以上、その取り扱いもまたセンシビィティーを要求されるのです。このことを明記したいと思います。


   </content>
</entry>
<entry>
   <title>お金のリテラシー</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/04/post_25.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.29</id>
   
   <published>2008-04-14T15:18:44Z</published>
   <updated>2008-04-14T15:18:45Z</updated>
   
   <summary>  雑誌「ビッグイシュー」の最近号に、お金のリテラシーについて特集されていました...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura_kt</name>
      
   </author>
         <category term="活動報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      <![CDATA[  雑誌「ビッグイシュー」の最近号に、お金のリテラシーについて特集されていました。内容は、お金とどのように主体的に関わるかということで、社会的に意味のある投資として、ＮＰＯバンクなどの紹介とともに、多重債務に警鐘を鳴らす記事が掲載されていました。  お金とどのように付き合うのかは、結構難しいことだとは思います。自分のお金が社会においてより良く使わているのかどうかが気になるのはもちろんのこと、そのお金に振り回されないことが大切だと思います。この点では、多重債務のことは本当に重要な論点となるでしょう。  まさに、お金のリテラシーということが問われるのではないのでしょうか。お金の使い方を主体的にどう判断するのか、これを欠いていると、多重債務に陥り易いという傾向があるように思えます。この意味で、リテラシーが問題となると考えています。  とりわけ、消費社会の傾向が強く、欲望の抑制がききにくい現代の日本社会においては、こうした視点は大切だと思います。そもそも主体性をなかなか確立できない日本社会の、病理とも密接に関わる問題性こそが、リテラシーをめぐる論点となっていると理解しております。消費社会の問題を含めて、多重債務について、これからもきちんと考えていく必要があると思っております。<br />
  以前にも書いたと思いますが、このビッグイシューには、結構面白い記事が載ります。いろいろな点で、参考にしています。もっと注目されても良いと思うのですが。例えば、論壇的にも、取り上げられていいのではと思います。もっとも、それには記事が短いのですが。いずれにしても、僕にとっては、貴重な情報源となっております。<br />
  なお、このブログは、携帯からエントリーしております。ホームページを管理してくださっている方のご尽力で、可能となりました。文体が変化してしまうかもしれませんが、これからも、折りをみて、短い内容の事柄などを、書き込んでいきたいと思います。]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>ニューポリティクスの可能性</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/03/post_26.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.28</id>
   
   <published>2008-03-31T09:50:45Z</published>
   <updated>2008-03-31T10:38:14Z</updated>
   
   <summary>　今日は年度末で、なにやかにやの事務的な処理のため、議会の控室にいます。とりわけ...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="活動報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　今日は年度末で、なにやかにやの事務的な処理のため、議会の控室にいます。とりわけ、もろもろの収支報告なんかがあり、結構面倒です。その作業が終わったので、ちょっとブログを書いています。
　先週の初めに議会が終わって、半ばくらいに、連日いくつかの研究会やシンポジウムに顔を出しました。自分たちでやっている研究会もあり、本業というか、純粋に研究目的のものもありましたが、結構政治活動と結びつくものや、それにヒントを与えるものがありました。
　そうした中で強く感じたことが、やはり現状を打破するためにも、これまでの政治の問題設定を考え直すような、新しい可能性、それも理論的なものを打ち出す必要があると思いました。具体的に、ドイツの社会民主党とアメリカの民主党、それに日本の民主党の三者で意見交換するというシンポがあったのですが、そこでそれを感じました。
　よく知られているように、ドイツの社会民主党は、いわゆる世界観政党で、こうした基本的価値の問題や理念といった点で一日の長があるように思います。必ずしもそれに同意するわけではありませんが、やはり見習うところ大だと思います。もちろん、ドイツ固有の政治状況で、社会民主党の状況は、必ずしも楽観できるわけではないのですが、一応理念は語っていました。
　その意味では、今、日本の政治もこうしたオルタナティブについてのヴィジョンを展開するときなのではないかと思います。特に、リベラル左派の政治にとって、そういったことが求められるように思います。それは基本的な価値観をめぐる学問的な営為と、実践が有機的に結びつくことだと思います。
　こうした考えに立って、これからもアカデミックな言説と、政治的な活動の結節点としてやっていきたいと考えております。これが今の僕の政治的なスタンスにひとつということになります。こうした立ち位置、ポジショニングで活動できればと思っております。

　そんなことを考えているのですが、現状は十分にそうした認識が、少なくとも今いる埼玉県議会においては、マジョリティを占めていないという、残念な現実があります。これについては、２月議会の最終日のことと一緒に、後日報告したいと思います。採決における態度についてもあわせて説明しようと思います。ほんとに問題含みなのですが、残念ながらメディアにはほとんど取り上げられていません。それはまた別の問題なのですが、このこともやはり考えなければいけないでしょう。

　最後に、今まで書いたような事柄に関連して、イタリアの政治哲学者のアントニオ・ネグリが不可解な理由で日本に来られなくなりました。政治的価値の問題を考える上で重要な人物だと思うのですが、なぜか日本政府はくるのをいやがったようなのです。このことに強く抗議しておきたいと思います。
　確かに、僕もネグリの考えに異論はたくさんあります。でも、それと入国させないということは、全く別のことではないでしょうか。新聞報道などによると、日本政府の対応は本当に不可解としかいいようがありません。多様な意見を、それも自由に述べることが出来るのが、民主主義なのですから。
　おかしいと思うことには、きちんと声を上げておかなければなりません。黙っていたら、それは黙認かもしれませんが、いずれにしても認めることとなります。このことを肝に銘じながら、再度ネグリの来日延期という事態に、大きな声で抗議しておきたいと思います。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>一応、研究しています</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/03/post_24.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.26</id>
   
   <published>2008-03-24T04:06:12Z</published>
   <updated>2008-03-24T05:39:37Z</updated>
   
   <summary>　２月定例議会は今日までです。ですので、朝から本会議です。採決がおこなわれますが...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="活動報告" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　２月定例議会は今日までです。ですので、朝から本会議です。採決がおこなわれますが、それについてはまた後日、ゆっくりと説明したいと思います。今日は別の話です。
　先週、先々週と、議会の方は主に委員会があったのですが、その合間を縫って、原稿の執筆など、研究活動に、ほとんど専念していました。先週の水曜日には、僕が籍を置く研究所での研究プロジェクトで報告をしました。久しぶり、たぶん議員になってからはじめて研究会で話したように思います。
　内容は、戦争と民主主義の関係について、その一筋縄ではいかない側面に焦点を当てた報告をしました。実際、デモクラティク・ピース論という、民主主義国同士は戦争しないという考えがあるのですが、それは必ずしも十分ではなく、デモクラシーのための戦争やデモクラシーによる戦争があるということを話しました。もちろん、今では戦争の数は減って、確かに先進資本主義国同士は戦争をしなくなりました。当然、これで平和ということではないのですが。いずれにしても、こんな内容を報告しました。
　翌日、休日でしたが、非常に興味深い講演を聴きました。「平和の文化をきづく会」というのがあるのですが、僕もその会の会員になっており、ちょうど年次の総会の時期にあたり、それにあわせて講演会がもたれたのです。平和ということで、さっきの研究会の話とつながるのですが、この「平和の文化」という考えはとても大事なものですので、いずれ機会があったらこのブログでも取り上げたいと思います。
　講演は、アメリカの心理学者によるもので、現代社会の問題について心理学からアプローチしている方で、問題関心が僕とかなり近いように感じました。実際、講演のあとに懇親の会がもたれたのですが、そこで個人的に話した感じでは、より一層そう思いました。
　そこでとても面白いと感じたのが、そのアメリカの心理学者は、心理学の問題を考えていくうちに社会の病理的な現象に関心を持ち始め、社会理論のような批判的な社会科学に近づいていったのだそうです。反対に、僕の方は、ここのところ現代社会論の枠組みで現代の社会病理に接近していくうちに、心理学的な問題へと近づいているのです。いわば、スタートラインは反対なのですが、対極のほうから問題を考えていくうちに、お互い近いところにきているということだと思います。
　今は、機会があれば本格的に心理学を勉強してもいいかな、と考えるようになっています。そのうち、もしかしたら勉強してみようかなと思っています。
　まあこんな風に、僕も研究を続けています。議員活動と二足のわらじを履くという状態ですが、少しずつでもこれからも研究の方もやっていきたいと思います。もちろん、政治活動にプラスになるような形で。
これからも随時、研究についても、このブログで報告していきたいと思います。


      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>例外と原則</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/03/post_23.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.25</id>
   
   <published>2008-03-12T05:30:56Z</published>
   <updated>2008-03-12T07:56:04Z</updated>
   
   <summary>　確か、ドイツのブレヒトという劇作家のエッセーに、「例外と原則」と題されたものが...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="ひとりごと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　確か、ドイツのブレヒトという劇作家のエッセーに、「例外と原則」と題されたものがあったかと思いますが。ちなみに、彼はかなりの皮肉屋で、僕自身は大変好きな作家の一人です。戯曲も面白く捨てがたいのですが、なんといってもアイロニー満載のエッセーが大変よく、学生時代には結構愛読しておりました。そういう人物ですので、名言集のようなものがあり、これがまた傑作です。
　そのエッセーの内容はというと、おそらくどのような原則にも例外はつきものであるといったことだったと記憶しております。つまり、例外のない原則など存在しないということだったと思います。だからといって、無原則なのがよいということを主張しているのではなく、規則とはそのようなものであり、それをふまえて柔軟に対応することが肝要だとの趣旨であったと理解しているのですが。
　実際どのような規則にも例外がつきものです。原則をかたくなに振りかざすだけでは、物事は前に進めることが難しいのはいうまでもありません。ですが、それをたてにとって無原則を貫くこともまた、いい加減なことと非難されても仕方ないことでしょう。
　こういう状況が、政治の世界ではままあるのです。政治とは妥協のアート(芸術)である。これは僕の政治に対する基本的な認識です。その意味では、政治観と言っていいでしょう。政治とは、様々な利害が対立し、それを調整するプロセスであることは自明であると思われますが、その過程で個別的な利害、特殊な利益に拘束されている限り、妥協ということは考えられなくなってくるのです。
　それだからこそ、議員は選挙区の特定の利害のみを代表するものではないという考えが成り立つのです。つまり、特定の利益代表ではなく、一般代表であるべきということになるのです。これが今日の政治学の教科書的な理解としての、一般代表制ということです。実際には、この原則を貫徹することは、結構難しいのですが、だからといって無原則であるはずがよいわけではありません。
　このブログでもこれまでに書いているように、こうした事態にどのように対応していくのか、本当に頭を悩ませるところです。これからどのような判断を下していくのか、県民の一般的な利害を表象すべき県議会議員としても、問われるところではないかと思います。
      　またしても最初には一般論しか書かないで、一体どうゆうことなのかと思われるだろうと思います。読んでいて話が見えないとは思いますが。だから、続きでは、いつものように踏み込んで書いていくことにします。事実関係を含めて。
　そもそもなんで例外と原則なのか。議会はまさに例外と原則のグレーゾーンのせめぎ合いという性格を持っています。それを象徴するのが、原則を決めても例外があり、それを理由に原則に従わないという余地を残すという、大人な判断を許容することがあります。
　これは一般論なんですが、これをたてにまさに例外状況の場合を論じていたのが、いつの間にか原則の問題にすり替えられていく、こうしたトリックによって原則に従うように求められてしまったのです。それも採決のルールに反するようなやり方で。これは非民主的な決定のあり方といわざるを得ません。
　要するに、これでは何でもありということになり、皮肉なことに例外が常態化して、原則が欠如してしまうという事態に陥ってしまったのです。おまけに会派の多数の人々に遺恨を残すような形で。
　明らかにこれは例外と原則の二律背反的な関係を考慮に入れない、その意味では決して思慮深いとはいえない、安易な姿勢によるものといえるでしょう。こんなことをやっていたら、規則を決めるべき立場の人間として、大いに問題があるといわれても仕方ないでしょう。いうまでもなく、地方議員も条例という、限定されたものかもしれませんが、立法権を行使することの出来る立場なのです。
　最近とみに、規範意識の低下を嘆く人が多いのですが、まずはこのような民主主義にとって最低限の規範さえ喪失している状況こそ憂うべきではないでしょうか。規範、規範と叫んでいても、規範が本当のところ意味することが分からなければ、それこそ喜劇(悲劇)です。このような自覚が、正直なところ、ほしいものです。
　確かに、政治は妥協のアートである以上、いつも原則に縛られることは出来ません。でも、そうであるからこそ、常に原則を確認し、そこからなるべく逸脱することなく、折り合える範囲を定めていく。これが妥協の本当の意味ではないでしょうか。やみくもに妥協をすることこそ、まさに無原則のそしりを免れないのです。ここで政治家の資質が問われるのはいうまでもありません。
　政治が妥協によってしかデッドロックを突破できないということ、それゆえ理念と現実の関係が鋭く対立するということについて、そうした事実を承認することにはやぶさかではないのですが、好きか嫌いかをいえば、あまり好きになれないところがどうしても残ります。妥協が避けられないのは分かっていても、場合によっては正義をそれによって貫徹できないのは、いささかの禍根が生じるのも事実かと思います。これは政治家としての意見ではなく、政治学者としての意見ではありますが。
　妥協によってしか意志決定が出来ないときに、その妥協が正しさという基準からは容認出来ない、もしくは実効性が乏しいとなる場合は、しばしばあります。そのような典型例は、環境問題、とりわけ地球温暖化の問題にみられると思いますが。こういったケースをどう考えるのか、これが現代民主主義論の課題でもあるのです。こうしたハードケースを丹念に検証することによってしか、民主主義は強化されないというのが、今日のおおかたの民主主義論を研究する研究者の意見ではあると思います。
　実際、正義を貫徹することによって、非妥協的に正しい措置を執ること、これは民主主義の破壊につながるリスクを背負っていることにつながります。非民主的な独裁的な体裁をとらないと、正義が実行できなくなり、民主主義的な決定プロセスを重視すると決定は意味を失う、このようなパラドックスにもっと敏感になる必要があるのではないでしょうか。
　少なくとも、地方政治家として、最低限でもこうした民主主義に内在する危うさを自覚した上で、活動をするべきだと思うのですが。いかがなものでしょうか。こうした自覚がないまま、やみくもに権力に近づいていったり、おかしな決定を下すこと、こんなことは、やはり許されてよいとは思えないのです。
　これはまさに自分に対していえることで、こうした自覚を忘れずに今後の議会活動をしていかなければならないと思います。これはまさに政治の原点であると思います。議会政治にとって、民主主義にとって、さらには間接代表制の意義をかみしめながら、原則を常に振り返りながら、柔軟に対応していく、これが求められるのではないでしょうか。これらを意識して、今後も努力していければと思います。






   </content>
</entry>
<entry>
   <title>それでも地球は回っている？</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://hiro-kit.net/blog/2008/03/post_22.html" />
   <id>tag:hiro-kit.net,2008:/blog//1.24</id>
   
   <published>2008-03-07T05:59:46Z</published>
   <updated>2008-03-07T07:59:21Z</updated>
   
   <summary>　マイノリティはやっぱりつらいですよ。なんのことかって、趣味の話なら別に気にしな...</summary>
   <author>
      <name>Kitamura</name>
      
   </author>
         <category term="ひとりごと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hiro-kit.net/blog/">
      　マイノリティはやっぱりつらいですよ。なんのことかって、趣味の話なら別に気にしないんですけど。元々嗜好はマニアックだし、結構話が合う人を見つけるのも苦労したりする場合があるものですから。そんなのどうでもいいんですけど。何かっていう感じなんですけど。
　でも、会派での意見でマイノリティは、結構難しい。
　まあそんなことははじめから覚悟していたので、最初から少数意見の持ち主だとは認識していました。でもここでいいたいのは、そんな少数意見を表明する自由をという話なんです。要するに寛容が大切ということです。ただ、多数決原理というものは、少数意見を留保する権利が付与されてはじめて機能するという、民主主義についての、政治学の教師なら誰でもそう教える、当然のことが当たり前になされてくれればよいということなのです。
　要するにこれが、それでも地球は回っているということなのです。太陽がいくら地球の周りを回っているといっても、事実は違うし、地球が太陽の周りを回っていることを知った以上、その考えを変えることは出来ないということになるのは仕方ないことなのです。そうなったら、どのようにその意思表示をするのかが問われるわけだと思います。そうなると造反有理ということになるのでしょうか。
　これからのお楽しみということでしょうか。分かりません。本当のことは。
　本当ならかなり忙しいはずなんですが、次の予定まで会派の控室で結構時間が余ったので、つまり暇だから、こんなくだらないことを書いてしまいました。すいません。

      　最初の部分だけを読んだ方には何のことだか分からないでしょうが、追記には多少込み入ったことを書かせていただきます。
　今日、重要な判断が会派内でなされました。ひとつは八ッ場ダムの問題です。僕自身は、この事業は無駄な公共工事の典型であり、反対です。ただ、会派の意向は賛成ということで決しました。実際賛否はかなり拮抗していましたが、決定過程の是非は問いませんが、賛成ということに決まりました。
　ここで問題は、この小数意見をどのように表明するのかということです。造反して反対も出来ますが、その立場はとりにくいのが実情です。皆さんもご承知のように、この会派はかなりばらばらな考えの持ち主で構成されています。それでせっかく統一会派を組んだのだから分裂はしたくないというのが、多くの人の気持ちではあります。それをくめば、採決の際の退席という選択肢が残ります。
　最低限これを認めることが、多数決原理に付随する寛容の精神ということになると思います。イギリスにはカウントミーアウトという表現があるかと思いますが、これこそ信条に関わる点で譲れないのなら、加わらない自由を、留保する自由を認めるべきだと、ここでいっておきたいと考えます。これがあるから民主主義は成立するというのが、政治理論の研究者としての僕の立場でもあると、付言しておきます。これを否定するのは、正直いって、トレランスの閾値を超え出ることではないかと思ったりするのですが。これこそ矛盾しているのですが、デモクラシーとはそういうものを内包したものでもあるのです。
　これは何も理論的な立場を表明するためにいっているだけではありません。会派の決定を尊重するからこそ、このような態度をとるのです。分裂したくないのなら、最低限、こうした共生の作法を容認する以外ないと思いますが。これはある程度普遍的なルールではないかと思います。
　ここで問題なのは、マジョリティーの人が、少数者の立場を理解しないということでもあるのです。想像力の欠如と非難するつもりはありませんが、多数者が少数意見の立場を分かるというのは、難しいのでしょうか。少なくともこの会派では、そんなことを感じさせます。というのも、もう一つの判断に関わりますが、歴史認識の問題でもそれを感じたからです。
　歴史認識をめぐって、ここでは世間的な常識とは異なって、歴史修正主義的言説が有力です。もちろん僕は、それに反対ですが、会派でそれを決めればそれでいいと思います。事実、無駄な公共工事の際より賛同者は少なかったわけですし、まあ明らかな小数意見であるのですから。
　それはよしとして、ここでの問題は、そういうことを繰り返していくうちに、多数者がマジョリティーに安住していってしまうことなのです。多数だからという安心感が、結局自分たちの意見が通るのだから、きちんと議論しなくてもいいやという姿勢を生み、思考停止に陥りがちだということです。議論することの難しさはもちろん承知していますが、それでもやるべきだと思います。
　残念ながら、これまでもこうした姿勢が、ままみられたというのが、実際のところだったと思います。それをすぐに改めるのは、本当に困難なことだとは思いますが、それがデモクラシーにとって肝要なのです。異質な他者との共存、これが現代のラディカルなデモクラシーの課題でもあるのです。
　このようなことを愚直に考えること、それも単に理論的な次元だけではなく、実践においても、それが今問われているのだと思います。その中でカウントミーアウトという意思表示を、原則的な立場で認めることを含めて、どのような振る舞いが容認できるのか、寛容という点でも、重要なのではないでしょうか。このことを、これからも会派内において、声を大にしていっていきたいと考えています。
　ここではっきりと言っておきたいのは、この点に関する限り、僕自身は単独者であるということです。仮にこれらのことから会派を離脱するということになっても、それはかまわないということです。信条が第一ですし、そのためには単独者の道をとることになんの躊躇もありません。それは僕が素人の政治家であり、単なる学者的理想論であるとの批判もあるかもしれませんが、それはそれでいいと思っています。
　結構長文になりましたが、これが僕の正直な気持ちです。こうした心情を吐露するブログもたまにはいいのではと思いますが。いかがでしょうか。最後まで読んでくださった方には、本当にお礼いたします。いずれまた、こんなこともつづっていきたいと思います。それではまた。


　
   </content>
</entry>

</feed>
